Conservative observers still cautious, although many now believe market has established resistance level likely to hold.
「市場参加者の多くがレジスタンス・レベルは確立されたと考えているが、保守的な見方をする者はなお警戒している。」
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MHJ筆者が毎日楽しみにしているサイトのひとつに、『News From 1930』というブログサイトがある。
今年の6月からスタートした新ブログで、1930年の同日に書かれたウォールストリートジャーナルの主要記事を要約して毎日掲載してくれるサイトなのだ。
NYダウは1929年386ポイントまで上昇した後、同年10月に195ポイントまで下落。実に49%の大暴落であった。その歴史的な大暴落の【翌年】に、米市場ではどんな話が話題になっていたのかを知ることができて非常に面白い。
興味深いのは、当時流れていたニュースの行間に連日垣間見られる「マーケットの根強いオプティミズム」だ。
冒頭に紹介した文は、1930年7月12日分として、今日の同サイトに掲載されていた内容の一部だ。
約80年前の今頃「レジスタンス・レベルは確立されたと多くの市場参加者が考えていた」という。これで底を打ったと思ってるひとが少なくなかったわけですね。
だが実際はどうだったかというと、周知のとおり。7月12日には200台だった株価は、1932年に40ポイントをマークするまで底値を更新し続けた。(グラフをクリックすると拡大します。)
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現在発行されてるWSJと『News From 1930』を毎日併せて読んでいると、人間というのは、つくづくオプティミスティックな生き物なのだというのを感じる。(無論、それが人類の強みでもあるのだから、オプティミズムを否定しているわけではない。)
そして、人々の思考パターンや、あるニュースへの反応の仕方というのも、80年前と今日(こんにち)とでは、さほど違いがない、ということも。
当時書かれていた内容が、今日現在市場で流れている分析や情報に酷似していることもある。
たとえば、1930年6月2日のWSJに掲載された、こんなコメンタリー。
National City Bank of New York anticipates an early recovery. Admits that so far recovery hasn't been marked, but “business has been on the down-grade for nearly a year and in the past 30 years depressions have rarely lasted for a longer period”. Says the danger now is excessive pessimism as opposed to a year ago when it was optimism. Admits serious problems including the worldwide business downturn and fall in commodity prices, but the country has repeatedly demonstrated ability to recover in the past. For the last 30 years, with the possible exception of 1914 (WWI), when business has begun a depression in one year it's always at least started the recovery before end of next year. True that if we look back further there have been some more prolonged depressions (panics of 1873, 1884, 1893). But U.S. business was much less diversified then, and “lacked the recuperative power demonstrated in more recent years”. Also, money markets were uncertain then, as opposed to current easy money conditions. With credit conditions this favorable and the past record of recoveries, predicts a recovery starting slowly in the summer and apparent by fall.
ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークは早期の経済回復が期待できると述べた。現状、リカバリーはまだ起こってはいないものの、「企業の格下げはすでに1年も続いているし、過去30年間に起こった景気後退が回復するのに長期を要することはなかった」というのがその理由。一年前のオプティミズムと対照的に、現在は過剰なペシミズムを抱くことが、むしろ危険であると言う。グローバルに起こっているビジネス鈍化とコモディティ価格の下落は深刻な問題であるものの、過去、米国は繰り返し景気回復する能力があることを示してきた。過去30年の例でみると、1914年(第一次世界大戦のあった年)を除き、景気後退が始まった一年後からみて、その翌年の終わりまでには必ず景気回復が始まっている。さらに過去までさかのぼれば、景気後退の期間がもっと長期に渡ったケースも確かにあった。(1873年、1884年、1893年のパニック。)しかし、当時の米国のビジネスは現在ほど多岐に渡ってはおらず、「近年みられたような回復力に当時は欠けていた。」さらに、当時はマネーマーケットが不安定で、現在のように安易に資金が手にはいらなかった。現在はクレジット市場のコンディションが良好であり過去の回復の歴史を持ってすれば、景気はこの夏に徐々に回復、秋までにはそれが明らかになるであろう。
少し前に、MHJ筆者は上とまったく同じ内容の業者レポートを読んだばかりのような気がするのだが・・・(アナリストは当時からぜんぜん進化していないという証拠か?笑)
ちなみに、上のコメントを出した National City Bank of New York というのは、現在のシティバンクの前身である。
1930年の6月から7月にかけて株価はずるずると下がるのだが、こうしたオプティミズムに満ちたマーケットコメントは連日紙面に登場し、逆を言えば、マーケット参加者はそうやって日々不安と戦っていたのであろう様子が伺える。
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1930年7月9日のWSJには、ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)による『The Great Mississippi Bubble』という著書の書評が掲載された。著者のアーヴィングは、それよりさらに一世紀も前の1837年の市場クラッシュの頃に生きていたひとで、この本が題材にしてるのは、アーヴィングの時代からさらに一世紀以上前にさかのぼった1719年に実際にフランスで起こったバブル経済崩壊の過程だ。
18世紀の始めごろ、アメリカのミシシッピ川周辺はフランスの植民地だった。ミシシッピ川周辺の土地価格の上昇を見込んだバブルが本国フランスで発生、それに続くバブル破裂でフランス経済は大打撃を受けた。The Great Mississippi Bubble と呼ばれるこのフランスの経済バブルと崩壊の顛末は、19世紀のバブル崩壊を経験したアメリカ人たちの興味をそそり、その100年後、1929年の大暴落直後、ウォールストリートジャーナルがその本を再び取り上げた。
アーヴィングの本には、こんなくだりがあった。
The boom - "Every now and then the world is visited by one of those delusive seasons when the 'credit system,' as it is called, expands to full luxuriance; the broad way to certain and sudden wealth lies plain and open ... "
The bust - "a panic succeeds, and the whole superstructure built upon credit and reared by speculation crumbles to the ground, leaving scarce a wreck behind."
【ブームの訪れ】 「時折、この世は、欺瞞に満ちた季節の訪れを迎えることがある。それは、俗に言う“クレジット・システム”が最高潮まで拡張するときだ。そういうとき、確実に突然に富を手に入れる道が目の前に開けてくるかのように見えるのだ。」
【ブームの破裂】 「だが、その後はパニックが襲う。クレジットの上に作り上げられスペキュレーションに支えられた壮大な建物がガラガラと地上に崩れ落ち、後にはほとんど何も残らない。」
18世紀の出来事を記した19世紀の本が、20世紀の新聞に紹介され、その古い記事を21世紀に読んでるあなたは、いったい何を感じるだろうか。
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1930年の6月というと、グラス・スティーガル法のプロポーザルが、グラス上院議員により、議会に提出されたときでもある(6月18日)。それまでは財務長官は連銀のボードメンバーに名を連ねていたが、このプロポーザルでは、財務省は連銀から完全に離されるべきとされ、「連銀の独立性」を主張する内容となった。
連銀の独立性などは、とうの昔になくなっているではないか、と6月20日付けMHJ記事『金融規制改革案の目玉は改革よりもポリティクス』に書いた筆者だが、バーナンキ議長の行く末について政界でノイズが高まっており、金融機関を取り巻く規制環境も、当時のように、この先、かなり厳しくなりそうだ。また、共和党ロン・ポール議員を筆頭に「バンカメとメリルの合併に連銀がどう関与したのかを明らかにするために連銀の監査を行え」という追求の手も忍び寄ってきており、この夏は「連銀の独立性」というテーマがふたたび注目をあびそうだ。
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昔の記事を読みながら筆者が強い興味を引かれた話は、1930年前後の「マンハッタン高層ビル建設ラッシュ」である。
1930年6月15日の記事によると、「スカイスクレーパー・インデックス(The Skyscraper Index)」なるインデックスまであったようで、当時、ニューヨークシティの中心地とウォール街周辺は、現在のマンハッタンの摩天楼でも代表的とよばれる重要な高層オフィスビルの建設ブームの最中であった。
そのひとつ、1930年5月に完成したのが、クライスラー・ビルディング(写真)。
当時の米国の自動車産業は世界的景気後退で国内販売低迷に加えて輸出も伸び悩み、相当の痛手を受けていた。
1930年7月12日のWSJには、自動車産業に対する悲観論が当時の市場にはびこっていたことを匂わせる記事がある。
Auto industry pessimists should realize that with 27M cars on the road, “replacements alone guarantee a fair rate of activity for the industry.”
「自動車産業に悲観的見方を抱くものは、路上には2700万台の車が走っていて、これらの車の買い替え需要だけでも、自動車産業の活動をそこそこに維持できると保証されているのだということを認識すべきである。」
たしかに、恐慌で一時的に需要が急激に落ち込んだ米自動車産業ではあったが、世界王者としての米国の圧倒的な地位は揺るごうはずもなく、クライスラー・ビルは、その象徴でもあった。
ジェラルミンのボディにアールデコのデザインがほどこされ陽を浴びて銀色に輝く同ビルは、いまだにニューヨークの摩天楼の中でも異彩を放つ美しいビルだ。マンハッタンからクライスラービルを取ったら、風景の印象が変わってしまう、それほど印象の強いビル。クライスラービルの誕生が、株価低迷で沈んでいた当時のニューヨークに、どれだけ希望を与えただろうというのは、想像するに難くない。
その11ヵ月後にはエンパイア・ステート・ビルも完成。
当時の記事を読むと、そのほかにも、 40 Wall Street(現在は内部改装されてトランプ・ビル) や AIG本社ビルがやはりこの頃に完成している。
これらのビルは、今日でも、その風格といいセンスといい、ニューヨークを代表するビルばかりだ。エンパイアステートビルがこの頃立てられたというのは知っていたが、それ以外でも、ウォール街近辺の代表的な高層オフィスビル群が大暴落の直後に次々とできあがったのだと、いまさら知って、驚いた。
当時のNY不動産開発は「失業対策」という側面もあり事業が継続されたのであろうが、これだけの建築物を大不況のさなかに休むことなく建て続けることができたという、当時のアメリカが持っていた若さとエネルギーに圧倒される。
とりわけ、つい先日、ワールド・トレード・センターの跡地建設が州財政の悪化で頓挫しそうだという話題をここに書いたばかりでもあり、当時のニューヨークダウンタウンのオフィスビル建設ラッシュと、現在の商業用不動産市場のていたらくを比較して、ちょっとばかり、へこんだ。
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1930年6月のWSJの記事には、日本についての記事もいくつか出てくる。
1930年6月11日の記事。
Japan is suffering a severe economic slump. “Early in May leading shares of the Tokyo Stock exchange ... hit the lowest level since May 1908.” Five small banks were forced to close in April, which may have worsened the panic. Exports in the first 4 months of 1930 dropped 24% from 1929. The government is being asked to help the unemployed with a program of public works.
日本は非常に厳しい経済スランプに陥っている。東京証券取引所では5月初旬に1908年5月以来の安値をマーク。4月には小規模銀行が5行閉鎖に追い込まれ、パニックに油を注いだ。1930年の最初の4ヶ月の輸出高は前年同期比で24%減。日本政府はインフラ事業のプログラムで失業者吸収を迫られている。
そして、1930年7月11日の記事。
Japan discussing ways to build a domestic auto industry - may help lighten impact of London Naval Treaty on shipyards. Current Japanese auto market is almost insignificant; domestic production is about 400 cars/year.
日本では国内に自動車産業を作ろうという計画が持ち上がっている。ロンドン海軍軍縮会議によって受けた痛手を和らげようというのが目的だ。現在、日本の自動車市場は極めて小さい。年間の国内自動車生産台数は400台。
クライスラービルが完成した年に、日本では自動車産業立ち上げの動きが始まろうとしていた。なんという逆転。
AIGのヘッドクォータービルは、つい最近、韓国のデベロッパーの手に渡った。
クライスラーとAIG・・・。
当時と今とでは、米国のパワーも立場も、ずいぶん変わったものだと思い知らされる。
米株市場は3月から、4ヶ月間連続でラリーが続き、市場も一時的にオプティミズムがはびこったが、7月に入ってからはパワーが続かずショートラリーに終わった。
ここから先の市場が1931年や1932年ような状況に向かっているとは思わないけれども、今回の世界的な景気後退から這い出すためには、米国はもう若くない、ひとり牽引役としてはパワーが残っていないのだと強く感じる。
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4 comments:
珍しく,入力ミスが起きていますね。
「財務省は連銀から完全に話される」->「離される」
「民主党ロン・ポール」->「共和党ロン・ポール」
であります。
Cheeさんよりも早いコメントです。 (^^)
>Anonymousさん
おぉ、ご指摘、ありがとうございます。わたしも、アメリカ同様、かつての若さは失われ、だんだん年とってボケてきてますんで・・・(苦笑)
非常に興味深い書き込み、楽しく読ませてもらいました。1930年に不動産建設ブームが続いていた、という指摘は本当に興味深かったです。好景気時にはCreditがゆるいので、建設のアクセルが踏まれるんですね。時代は繰り返すな。
当時のNYCは一番伸び盛りの時期だったので、膨大な不動産供給を消化できたんでしょうね。でもハーレムみたいにあまりに供給が増えすぎスラム化しちゃったところもありますもんね。マイアミのダウンタウンのコンドなどハーレム化しないか心配ですね、、、
>Genさん
コメントありがとうございます。返事遅れました。1929年の暴落前も、きっと盛り上がるにいいだけ盛り上がって、ビルもバンバン建てる計画が立ち上がったのでしょうねぇ。でも、今と違って、大恐慌に突入してても、何が何でも完成させた、ってところがすごいと思いました。
ハーレムのあたりは恐慌後から80年代まで治安の問題など出ましたが、90年代後半以降はハーレムの不動産もずいぶんと値上がりし、ニューヨークではなかなか手に入らない「一軒屋(ブラウンストーン)」が並んでいる地区なので人気が出て、一時の治安の悪さはどっか行ってしまいました。また景気が悪くなってきてるので、マンハッタンの治安、ここからどうなることやら・・・。
それにしても、昔立てられたオフィスビルとか住居用建物って、ステキなのが多いですよね。わたしももっとお金があれば、ハーレムのブラウンストーンとか買いたいですわ・・・(もちろん無理だけど。笑)
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