Saturday, June 20, 2009

金融規制改革案の目玉は改革よりもポリティクス

18日、米上院のバンキング委員会に出席したガイトナー財務長官はオバマ政権の金融規制改革案を説明し、金融システム安定に向けてオバマ案を支持するよう訴えた。(プロポーザル全文は、こちらへ。)

その席で、米議会のバンキング委員長クリス・ドッド上院議員(コネチカット州・民主)が、ガイトナーにこんなことを言った。

(giving the Federal Reserve more authority) “is like a parent giving his son a bigger, faster car right after he crashed the family station wagon.

「(FRB連銀に今以上の権威を与えるのは)ファミリー・ステーション・ワゴンで追突全損事故を起こした息子に、もっと大型でもっと速度の出る車を、親が買って与えるようなもの」


うむ・・・言い得て妙、であるな。

上記のドッド議員のセリフに代表されるように、オバマの金融規制改革案に対する議員達の反応は、概して懐疑的だった。

とりわけ、中央銀行がシステミック・リスク・レギュレーター(Systemic Risk Regulator、略してSRR)に指名されフィナンシャルシステム全体のお目付け役という大役を担うことについて、いまひとつ反応が芳しくなかった。

議会側には、ひとつには「中央銀行の独立性」が脅かされるのではという懸念があるようである。

しかし、この「独立性」云々については、MHJ筆者から言わせてもらえば、「何をいまさら」である。

FRB連銀の行政からの独立性など、グリーンスパンの時代から、とっくにどっかへ行ってしまっているではないか。

いまから9年近く前、2000年11月12日付のワシントンポストのフィーチャー記事は、1992年当時、長期金利を下げたいと思っていたグリーンスパンと、財政赤字の削減を実現したいと思っていた新大統領ビル・クリントンが手を組み、中央銀行は独立性をあえて捨てて、連邦政府とビジネスパートナーの関係になることを選択したといういきさつを詳述している。

この記事の書き手は有名なジャーナリストのボブ・ウッドワードだが、彼が後年出版した著書『マエストロ』によれば、就任式を控えたクリントンのもとにグリーンスパンがベンツェン議員(クリントン政権下で初代財務長官をやった)の紹介で訪れて経済分析を披露したという。傾聴していたクリントンは、増税→長期金利の低下→好景気→財政収支改善という「グリーンスパン流一石二鳥セオリー」にいたく興味を示し、クリントンは傍らに座っていたゴアに向かって、「(連銀と)ビジネスができそうだな。(We can do business.)」とつぶやいた、という。

バーナンキの時代に移っても、両者の仲良しこよしぶりは誰の目にもあきらかで、前財務長官のポールソンの時代から、バーナンキは貞淑な妻のようにぴったりとポールソンに寄り添ってたし、現財務長官のガイトナー自身だって元NY連銀のトップだったんだからバーナンキとはツーカーなわけだし、FRBは財務省とは切っても切れない関係である。

上述したバンキング委員会の席では、別の上院議員マイケル・ベネット(コロラド州、民主)が、

「もし仮に規制当局の枠組みがもっと早くに今回のオバマ案と同じ状態であったなら、今の惨状は回避できたのか」

という(誰にも答えられない)質問をぶつけていたが、そういう質問が出てくるぐらい、今回の改革案骨子は「だからどーした」指数が高いんである。

規制の目をくぐって拡大しまくってAIG崩壊に至ってしまった問題のクレジット・デリバティブスにしたって、本案では、CDS市場参加者は全員規制当局に報告義務があるようにするとかなってるが、そもそものところで、規制側にデリバティブス市場の実務知識は欠けているし、報告義務ってのは往々にして事態の後追いになるのがオチで、規制当局が「把握」したころには、市場ではきっと規制の網目をかいくぐった新たな金融商品が出現して市場はそちらにシフトしてる、そういう「いたちごっこ」になるに決まってるんだから。

筆者も、今回出された規制改革案について、あちこち記事やオピニオンを読んでみたけれど、この改革案が通ることで、現在の金融システムのどこが大きく変わるのか、そこらへんの本質論や具体論はボンヤリしていて、筆者にはよく見えてこなかった。

しかし、今回の改革案で、はっきり見えたこともある。

それは、この案どおりに連銀に権威が集中すれば、連銀と財務省のビジネスパートナーシップは従来以上に強固なものとなり、他の規制当局(とりわけFDIC)の存在感は確実に低下するだろうということだ。

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周知のように、米国には複数の銀行規制当局が存在し、権限もあちこちオーバーラップして、それが当局同士の権力争いや足の引っ張り合いを招いてきた。(2009年4月9日付MHJ記事 『ストレステストでストレス感じてる規制当局』参照。)

それと同時に、米国の役所も日本同様、自分の縄張り以外の問題には無関心を装うという悪い癖があり、実際に問題が起こると指の刺し合いが始まるという、もうひとつの面も抱えてて、銀行の規制環境としては、この国は実に非効率な状態を長らく続けていた。

また、規制される側の金融機関の立場からしても、やれ連銀(連邦レベル)の規制だ、預金(FDIC)の規制だ、州の免許の規制だ、SECの規制だ、バーゼル(BIS)規制だ、と何重にもかけられた規制にがんじがらめになっており、それぞれの監督エージェンシーから定期的に監査に送り込まれてくる検査官にはいちいち対応しなくちゃいけないし、当局対応のためのオペレーションコストも余計にかかるしで、ウンザリしているというのが実情だろう。

米国の現行の銀行規制の枠組みは、世界大恐慌の頃、その大まかな姿ができあがったが、その当時のポリティカル・マントラというのは「哀れな孤児(みなしご)と未亡人のなけなしのお金(=銀行預金)を金融危機の犠牲にするわけにはいかない」というものだった。

つまり、「あわれな孤児(みなしご)と未亡人の最後のお金」をいかに守るかが、当時の銀行規制当局に与えられた最大の使命であって、証券などの預金“以外”の金融資産については、市場規律に丸投げで勝手にやっててもらいやしょうという、そういうスピリットで動いていたんである。

この「あわれな孤児と未亡人」というテーマだが、驚くなかれ、1980年代のS&L危機のときにも、それはまだ生きていた。

「Too Big To Fail(大きすぎてつぶせない)」という有名なフレーズは、1984年のコンチネンタルイリノイ銀行破たん救済を指して、ニューヨーク連銀トップだったジェリー・コリガンが使ったフレーズだが、このコンチネンタルイリノイの救済も含めた80年代の米銀危機と当局側の対応を当局自身が後日まとめた分厚いレポートを読むと、「みなしごと未亡人(Orphans and Widows)」という言葉が実際あちこちに登場するんである。

80年代から90年代初頭にかけての米銀危機は、まだグラス・スティーガル法が有効の時代だったから、銀行規制当局は、もっぱら「預金取扱金融機関」に焦点を絞って預金者保護とシステムの健全性確保だけに着目してれば、それでよかった、そういう幸せな時代だったんであるな。

銀行自己資本規制の国際ルールである「BIS規制」だって、1988年ごろに出てきた当初は、基本的に「資産側のマジョリティは貸出金、負債側のマジョリティは預金」という極めてオーソドックスな銀行バランスシートの構造を前提にして作られていた。

しかし、90年代に入り、金融商品の複雑化と種々デリバティブスの台頭が顕著になり、「みなしごと未亡人」どころじゃなくなってきた。

銀行のバランスシート構造も大きく変化し、オンバランスの融資資産の利ザヤ収入よりも、オフバラ化された資産からあがってくる収益や手数料が重要な収益源になってきた。グラス・スティーガル法も撤廃されて「預金取り扱い金融機関」と「それ以外(証券やノンバンク)」の境目がわからなくなってきた。

金融市場が90年代を通じて大きな構造変化を迎えていたのに、連銀も含めた銀行監督規制当局側ときたら、あいかわらず「みなしごと未亡人」のメンタリティをひきずったまま21世紀に突入し、2009年現在、いまだに「預金を受け入れるか否か」をベースに規制権限の線引きしてるぐらいなんである。

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規制当局の数が多ければ全体隙間なく網羅されているというのは間違いで、当局の数が多いというのは、すなわち、「これこれこういう場合は、この当局が管理する」みたいなルールだらけだ、という意味である。

それは、逆の方角から眺めると、「これこれこういう場合じゃなければ、その当局の管理下にはいらなくてもよい」という解釈を可能にし、その結果として、【レギュレーター・ショッピング】(Regulator Shopping=自分の都合のいいようにレギュレーターを選別すること)という問題も生じた。

今回の金融危機で、ゴールドマンやモルガンスタンレーら証券大手やGMACのようなノンバンクが、「銀行持ち株会社」になることを選択した(預金が主要な調達手段でもないくせに)のは記憶に新しいが、これだって、レギュレーター・ショッピングのリバース形である。

GSやMSなんてのは、羽振りのいいころは、自分たちは商業銀行じゃありませーんという顔をして連銀の監督監視を逃れ、商業銀行部門を持つために銀行規制から逃れようにも逃れられないJPモルガンやバンカメらがガシガシの規制で身動きとれないのを哀れんで横目で見てたくせに、危機勃発で資金流動性が極度に低下し手持ち資金が干からびてきた途端にあわてちゃって、次々と銀行持ち株会社に変身し、自らすすんで連銀の監視下に入ることにした。連銀が提供する流動性資金にタップするためには「銀行持ち株会社」というステータスを持つことが現行規制では必須条件だったからだ。

市場参加者からみれば、証券系か銀行系かなどの“カルチャーの違い”は別として、ゴールドマン(純粋証券会社)とJPモルガン(銀行系証券会社)が提供する投資銀行業務や証券業務に極端な差異はみられないのに、現行規制の定義上のステータスでは、「預金が資金源であるか否か」で、両者にはしっかり差がついていた。

オバマ案は、そういう前時代的かつ非効率な規制環境にメスを入れ、より現状に即した規制基盤を整えて将来の危機回避をはかろうとしている。

そこの部分は、おおいに歓迎すべきことなんじゃないでしょうか。

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しかし、そこでスンナリいかないのが、「知」より「欲」が先に立つ人間という動物の困ったところである。

「みなしごと未亡人メンタリティ」の最高峰といえば、FDIC米預金保険機構。

連銀の監督権限が「銀行持ち株会社」に限定されてるのに比べ、FDICは資産総額の大小に関わらず預金受け入れ金融機関8000なにがしのすべてを管理下に置いているから、FDICには銀行規制の主役は自分達であるという強い自負がある。

だが、今回の金融危機勃発後は、システミックリスクに関わる大手金融機関がらみの重大事項については、財務省は普段からベッタリ仲良しのFRB連銀ばかりを表舞台で重宝し、自分たちFDICは、潰れても誰も話題にしないようなちっちゃな地方銀行の破綻の事後処理ばっかやらされて、なんとなく隅に追いやられてるような、そういう不愉快な思いをしていた。

(注:ちなみに、先日また新たに3行つぶれ、今年の破綻銀行数は40に!ニュースはこちら。)

そして、今回の改革案で財務省は、その連銀に「仲良しこよしという既成事実」のみならず、「システミック・リスク・レギュレーター」などという派手な称号付きのスターの座を【法的に確保】してやりましょうという内容を盛り込んだのだから、FDICが黙っているはずがない。

FDICの現会長シーラ・ベアーは、強烈な個性と頑固者という評判で通っている人物だが、彼女はポリティカルな立ち振る舞いでもなかなかのやり手で、一筋縄ではいかない女性トップレギュレーターである。

去年、当時のポールソン財務長官とバーナンキ連銀議長が、倒れかけてた大手銀行ワコビアの受け皿としてシティバンクを使い救済合併に持ち込もうとしたときに、彼女がそのディールに強硬に反対した、といういきさつがある。

ワコビアは最終的にウェルズファーゴが買収したわけだが、このときの当局同士の激しい対立は、ベア氏率いるFDICの存在は「疎ましいもの」という印象を財務省その他関係当局内に残すことになった。(関連記事はこちら。) 

そのせいかどうかわからんが、今回の規制当局改革案をまとめる場に、どうやら、ベアは参加させてもらえなかったらしいんである。また、どこが漏らしてるのかは知らないが、「ベア会長はチームプレーヤーじゃない」という人物評も、ジワジワとマスコミ経由で流されている。

だが、その手の姑息(?)な手回しにくじけるようなベア会長ではなく、華々しいスーパースター・レギュレーターの座を連銀だけに独占的に渡してなるものかと、ひと月以上前から政界方々に手をまわしたりして、この件は、いまやパワーゲームの様相を見せてきている。

関連記事:
FDIC Chief Sheila Bair says new oversight power could be shared by FDIC, Fed, other regulators. (Bureau News, 5/6/09)

FDIC’s Bair Pushes for Greater Systemic Risk Powers (Bloomberg, 06/19/09)

先週はCNBC局のインタビュー番組にも出演し、「Too Big To Failというポリシーは止めなくてはいけない」と訴え、オバマの規制改革案はその始まりとなるべきだと述べて、昨年のリーマンショック以来「Too Big to Fail」を呪文のように唱え続けて危機対応してきたバーナンキとガイトナーを暗に批判した。(バーナンキがTBTFを物怖じすることなく公言するようになった時期については、09年3月11日付MHJ記事参照。)

‘Too Big to Fail’ Policy Must End, F.D.I.C. Chief Says (NY Times
6/19/09)

議会は議会で、ガイトナーのベビーフェースから「金融市場の小難しいことは、財務省と連銀にまかせとけ、(どうせ、あんたらにはボーナス以外の話はわからないんだから)」という本音をなんとな~く感じ取っていて、連銀(&財務省)にパワーを集中させる改革案に難色を示し抵抗している。(ま、実際、議会の多くは何もわかってないというのはAIGの一件で暴露されたわけなんだが。笑)

ベア会長は、そういう議会の不安を利用して自分の味方につけることで、連銀の権力拡大を阻止し、己の野心を果たそうとしているようにも見える。

連銀にシステミック・リスク・レギュレーターを勤めさせようとするオバマ案に真っ向から対立し、システミックリスクに対応する責任ある機関にはFDICも当然参加すべきと議会を巻き込んで訴えるベア会長。

ベア会長、ついにFRBに宣戦布告であるな。

2009年1月27日付MHJ記事 『「魔の山」はブルジョワ去ってアイボリータワーの住人来たる(成金は下界で戦死)』では、今後話題の主は、従来の金融界のスター達から規制当局の皆様に移りそうということを書いたが、規制改革案の登場で、彼らの戦いが俄然熱を帯びてきた。

改革案自体は、さすが学者のセンセ達が考えただけあって観念的な部分がやたら目立ち、退屈でぜんぜん面白くないけれど、それをめぐる関係者同士の露骨な権力争いとポリティクスは、今後ますます面白くなりそうで目が離せない。



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