Tuesday, June 21, 2011

【記事】Banking's Moment of Truth

NYTのコラムニスト、Jon Noceraのコラム。

記事の出だしが、こう。

Capital matters. Let me put that another way. The current fight over additional capital requirements for the banking industry, eye-glazing though it is, also happens to be the most important reform moment since the financial crisis broke out three years ago. More important than the wrangling over Dodd-Frank. More important than the ongoing effort to regulate derivatives. More important even than the jousting over the new Consumer Financial Protection Bureau.

Capital matters. 

まさしく。ベーシックにして核心を突く一文。

長年銀行セクターのアナリストをした自分は、この出だしのパラグラフに同意せざるを得ないな。銀行という業態の将来も、事業の行方も、四半期ごとの業績も、すべてはキャピタルとそれをめぐる規制に収斂する。

(NY Times, 6/21/11)

『Basel III』と銘打って、新たな自己資本規制の枠組みがバーゼルから出されているが、そこでは大枠として、今後、銀行が求められる自己資本の額は7%、大手銀行には上限3%として追加キャピタルが要求されるというベース。ここにさらに、各国の事情を考慮し、各国の銀行規制当局がこの枠とは別個に自己資本必要額を決めることもあり。

欧州の銀行群はかつて、表面上のキャピタル・レシオでは米銀よりもはるかに高いレシオを誇っていたものだが、それは現行のバーゼルのルールが随所で「歪んでいる」のが理由であって、欧州の銀行の実質的なキャピタルクッションが厚いからではない。Basel IIIの新たな枠組みについて、欧州の銀行は米銀以上に自己資本を多くつまされることに対して拒否反応を示しているようだ。それについて、Noceraは、米銀に他国よりも厳しい自己資本規制をかけることは米銀の競争力を傷つけるという意見があるが、そんなものは取るに足らない議論だと切り捨てる。

Indeed, every argument put forth by the big banks and their Congressional spokesmen against higher capital requirements have been demolished by Admati as well as Simon Johnson, the banking expert, whose devastating rebuttal can be found in The New York Times’s Economix blog. But the idea that they will make U.S. banks less competitive with European banks deserves particular scorn.

European banks, to be sure, have fought fiercely against higher capital requirements. It’s not really because they hope to get a leg up on the rest of the world, though. It is because these banks are in far worse shape than the banks in other parts of the world; they can’t afford higher capital requirements.

「欧州の銀行たちが厳格な自己資本規制に反対の意向を示すのは、競争力云々の話ではなくて、欧州の銀行の自己資本が世界の他地域よりもずっと酷い状態にあって、実際問題としてそんな金銭的な余裕がないから。」

たしかに、ギリシャ問題がここまで長引くのも、ギリシャのデフォルトは、欧州銀行システムの問題に直結してしまうから。

しかし、だからこそ、自己資本はできるだけ多く持たせろというストレートな意見は、筆者は賛成だな。リスクウェートの算出を小難しいモデル使ってあれこれいじくってみたりしたのが、まさにBasel 2だったわけ。それがクレジットバブル破裂とともに、いかに欺瞞に満ちた規制だったかがバレたのみならず、あれだけグチャグチャ押し問答して多くのリソースを無駄にした上、みごとなばかりにコケたのだから、いまさらキャピタルの「最低」必要額を探るために利用されたBasel 2の二の舞になるよりも、もっとシンプルにキャピタルは分厚くしろ、というイニシャチブを押し通せと筆者も思う。

大きすぎて潰せない(Too Big To Fail)は過去も存在したし、これからも存在する。それが必然的にモラルハザードを誘発して、過度のリスクテイクに繋がってきたし、今後もやっぱり同じメンタリティは続く。小さく分解しろという考えもあるが、それは一般預金者も含めたユーザー側が支払うトランスアクションコストを高くする。大銀行でも潰してしまえという意見には、金融市場のフローの面から最初からリアリティはない。ならば、オペレーションがうまくいっている期間に大規模銀行に課されるキャピタルサーチャージは、将来の救済費用への前倒し払い的意味からも、分厚くしなければダメと思う。

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