Akio Toyoda did a good job of testifying before hostile congressional comm. Took clear responsibility & made it personal. Not an easy task
「敵対的な相手を前によくやった、責任の所在を明らかにし、それを自身の問題と位置付けた、簡単にできることではない」という賛辞である。
このツイートを送った人は、ハーバードのビジネススクールで教鞭を取る、ビル・ジョージ教授。教授の専門は「マネージメント・プラクティス」つまり、「経営者のリーダーシップ」がテーマである。
豊田CEOが公聴会に登場する前に、ジョージ教授は自身のブログで、“リーダーとしての豊田氏”について取り上げている。
Mr. Toyoda in the Spotlight (by Bill George, 2/23/10)
このブログ記事の中で教授は、自分と妻は40年間トヨタ車の愛用者でトヨタという会社が好きだと断った上で、次のようなことを書いている。
・・・a leader staring down the barrel of a full-blown crisis must own the problems internally, quickly go on the offense to form a resolution, and take his word to the public. In the court of public opinion, judgments are handed down by consumers the moment that news breaks of a flaw in quality or service. In the case of Toyoda, he has ducked the public eye and hesitated for so long that many people have already made negative judgments about his leadership and his company’s handling of the crisis.
眼前に危機が及んでいるリーダーは、問題を自己の内部に取り入れ、解決策を作るために素早くオフェンスに回り、自分の言葉を公衆に伝えなくてはならない。パブリックオピニオンが支配する場では、製品のクオリティあるいはサービスに問題ありというニュースが出された瞬間に、消費者によって判断が下される。トヨタのケースでは、彼は公衆の目の届かないところに隠れたまま、随分長いこと躊躇していた。そのため多くの人々が彼のリーダーシップと、彼の会社の危機対応の仕方についてネガティブな判断を下してしまった。
24日の公聴会は、豊田氏にとって、ダメージ回復のチャンスであると同時に、もし豊田氏が万人の眼前で「まるで車のヘッドライトを浴びた鹿のように( like a deer in the headlights)」凍り付いて動けなくなったりしたら、同社の評判はさらに悪化することにもなりかねない、と教授は23日のブログに書いている。
公聴会での過去の失敗例としてブリジストンタイヤの小野CEOの例を持ち出し、小野CEOが言葉のハンディから通訳や側近に向かってばかり話をし、彼らに自分の代わりに答えさせるという失態を演じてしまったがために、ダメージにダメ押しがかかったと教授は言う。
His appearance gave the impression of a CEO who either didn’t know what was going on or didn’t care.
(小野氏は)自分の会社に何が起こっているのか気づいていない、あるいは、どうでもよいと思っているCEO、という印象を見てる者に植え付けてしまった。
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豊田氏の公聴会出席は米国でも大きなニュースとして扱われたし、TV局はCNBC局、ブルームバーグ局、C-SPAN局などでは、かなりの時間を割いて、ずっとライブで流していた。他局もネット上でライブで観られるように配慮されていて、関心の高さを示していた。
MHJ筆者も、我が家の自家用車(トヨタ製)もリコールかかったという個人的理由に加え、やはり、ひとりの日本人として、ニッポンを代表するトップ企業のCEOが(あの)悪名高き米議会公聴会に呼ばれるという『異常事態』に並々ならぬ興味を抱いた。
トヨタという「日本の誇り」みたいな超優良会社が、これまで誰も想像だにしていなかった事態に追い込まれ、連日激しい攻撃の的となって、そのレピュテーションが凄まじい速度で崩壊してゆく様を見て、衝撃を受けたこともある。
1月26日に『AIG公聴会はオバマの一般教書演説の【前座ショー】』というMHJ記事にも書いたように、公聴会というのは、そもそもが一種の【政治ショー】のようなもの。アメリカ人も、公聴会の場で何がどうなるわけではないというぐらいのことは承知していて、ここで新たな驚愕の事実が出てくるだろうと期待していたわけでもない。
ただし、「悪名高き」と上に書いたのは、公聴会に呼び出しがかかりディフェンスに回る者は、たいていドラマチックな(←ハリウッド映画みたいな)厳しい追求にあう、というのも毎回お馴染みなんである。
たとえば昨年11月にガイトナー財務長官が呼ばれた時の下のビデオ。
金融改革について説明するガイトナー長官に、金融危機が起こった責任はお前にあるんじゃないのかと語調を強めるマイケル・バージェス議員(共和/テキサス州)が、ついに、こう言い放つ。(4:18頃)
“I don't think that you should be fired, I thought you should have never been hired.”
「あなたをクビにすべきだとは思ってませんよ。あなたは最初からこの役職に雇われるべきじゃなかったんだ。」
fired と hired と韻まで踏んじゃって、まるで、ハリウッド映画で、腐った政府に怒りまくる正義のヒーロー、ハリソン・フォードが
Hou dare you, sir!
と叫ぶ、あのノリではないか。バージェス議員、映画の主役なりきり。(見た目、相当ちがうけど。笑)
しかし、アメリカ人同士なら慣れてるからそれでいいかもしれないけど、わざわざ太平洋越えてきたニッポンのCEOが、こんな劇場型の無礼な公聴会にどこまで耐えられるものなのか。
今年は中間選挙の年ということもあり、政治家連中は、どいつもこいつもハリソン・フォードなりきりで票を稼ごうという下心あるのはバレバレなので、MHJ筆者は(要らぬお世話ながら)そこを心配していた。
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前述したジョージ教授のブログに戻る。
教授は、リーダーができる最善のこと、最悪のこと、をそれぞれ以下のように述べている。
まず「最善」から。
The best thing that a leader can do in the spotlight is to come across as authentic – taking full responsibility for the problems, offering sincere apologies, and proposing genuine solutions.
スポットライトを浴びて注目される企業リーダーが取れる最善策は、嘘偽りがないという態度を示すこと。問題に対して全面的に責任は自分にあると認め、真摯な謝罪を提供し、誠実な対応策を示すこと。
これの例として、1982年に起こったタイルノール頭痛薬問題にみごとに対処したジョンソン&ジョンソンの当時のCEOジム・バーク。また2007年のバレンタインズデーに極寒のJFK空港の滑走路に乗客を閉じ込めたまま自社機を立ち往生させたJet Blueの創業者デビッド・ニールマンのたちまわりを、あげている。
一方、リーダーとして「最悪の真似」は、
The worst thing leaders can do in this situation is to offer canned remarks or to say what they think Congress and the public wants to hear.
この状況に立たされたリーダーがとる最悪のこととは、決まりきった文言を並べたり、議会やパブリックはこういう言葉を聞きたがっているはずだという思い込みに基いて発言すること。
相手にそういう印象を与えてしまった例として、同教授は、公聴会出席の前日に豊田CEO自身の名でウォールストリートジャーナルに発表した投稿文を指摘し、謝罪をしようとしているリーダーの心のこもった謝罪文というより、あれではまるきし、アメリカのPR会社に書かせたプレスリリースみたいだ、と批判している。
言葉の壁、日米で大きく異なる「企業」というものに対するエクスペクテーションやカルチャーの違い、これらの障壁を抱えて、あらかじめ敵対的な雰囲気になることが予想されてる公聴会本番に臨み、豊田CEOがそれらを克服できるのか・・・。
しかし、公聴会が始まってみると、そんな筆者の心配は杞憂ではないかと思い始めた。
そう感じたひとつには、豊田CEOの言葉には実際に真摯な態度が感じられたこと。
そして何より、公聴会を開催した側が、公聴会に豊田CEOを呼びつけて「何」を得ようとしているのか--アクセルや電子制御システム不具合の技術的な問題に対する説明を聞きたいのか、ブラックボックスと秘密主義の問題なのか、日米のマネージメント組織の問題なのか、はたまた謝罪が足りないと責めることなのか--議員ら自身の頭の中で焦点がボケていて、質疑応答にまとまりを欠き、公聴会後半はすっかりダラケてしまったことがある。
公聴会が終了したとき筆者が得た心象は、「軍配は豊田CEO」であった。
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そして翌朝になり届いたのが、冒頭で紹介したジョージ教授のツイッターである。
こちらの主要マスコミも、CEOが登場したあとは、なんだか気が抜けちゃった感じ。
ニューヨークタイムズなどは、トヨタ車に乗っていて一家4人が犠牲になったカリフォルニア州の事故の悲惨な写真を紙面で大きく掲載するなど、火に油を注ぐような扱いでトヨタ追及に余念がなかったくせに、CEOの公聴会出席の翌朝の同紙一面には、トヨタのニュースは含まれていなかった。その後も同紙はウダウダと、なんだか辛気臭いことを書いていたが、トヨタ関連のニュースは、NYタイムズの「Most Popular(最もよく読まれている)」記事リストには、もう入ってこない。
テレビニュースも、豊田氏がウッと涙に詰まる映像を繰り返し流したり、何故CEOの名前はTOYODAでTOYOTAじゃないのか(答:日本語で書くとラッキーナンバーの8画)みたいなトリビアを紹介したりで、ニュースとしての”重量”が軽くなっていた。
日本から届くニュースやブログを見ていると、日本では、当然ながら、いまだにトヨタ問題が米国でどうデベロップしているのかに高い興味を抱いている様子だが、トヨタの問題は、日本で考えられているほどアメリカの一般大衆のレベルでは、もはやさほど注目されていない。
筆者が感じるのは、アメリカ人のトヨタ問題に対する現在の心境というのは、(1)豊田CEOの姿を見て彼がひとりの人間として苦しんでいるのを感じ取って奇妙な共感を覚えたか、あるいは、(2)「トヨタのことなど、どうでもいい」「他のことで忙しい」すなわち無関心かそれに近い、この二つのどちらかに多くが納まるんじゃないか、ってことだ。
日本では、証人のロンダ・スミスさんの証言にやたら執着して、やれつじつまが合わない、だの、時速160キロも出ててどうやって携帯使えたんだ、だの、事故車をさっさと売り払ったのは怪しい、だの、嘘ついてるんじゃないのか、だの、そんな下世話な話で盛り上がってるらしいが、正直いって、ヒマなんだなとおどろく。
ロンダさんのことなんて、こっちじゃ、もう、たいがいのひとが彼女の名前も忘れてるさ。
それに、事故車を売り払ったという点が、何故、問題になるのだろう。あなたが事故起こしたレクサス持ってて、ディーラーに持っていっても問題ないと言われるばかりで、「あんな車、もう2度と乗りたくない!」と思ったら、あなたは、それ、売ろうとしませんか?事故の記念に車庫に大事にしまっとけっての?
問題のレクサスについては、政治ショーの別章で、お前らが職務怠慢こいてたからリコール遅れたんだろうと追求されて、その後始末に奔走している米運輸省が現在の持ち主から買い取って徹底的に調べてくれるそうですから、遠い日本から陰謀説片手に気を揉んでなくても大丈夫ですよ。
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トヨタ問題は、無論、これで終わったわけではない。
だが、いずれにせよ、ちまたの雰囲気という意味でいえば、こちら米国では、ちょっと潮目が変わった、という感じである。
公聴会の翌朝、筆者は歯医者のアポがあって歯科クリニックに出かけたのだが、そこでトヨタの話が出て、掛かりつけの先生(←生まれたときからニューヨーカー)が、面白いことを言った。
歯科医は、「トヨタのCEOの証言はテレビで一部しかみていないが、CEOは正直に話しているという印象を自分は持ったし、彼が従業員達の前で涙をこらえたビデオをみて、自分も衝撃を受けた(It was quite striking.)」といった。「一瞬置いてからその場で拍手が起こったのは、そこにいた従業員達もきっとビックリしたと同時に感動したからなんじゃないか(because they were emotionally moved)」と。
歯科医はさらに、こう続けた。「それとくらべて、タイガーウッズの会見、ありゃー、ひどかった。TOO CHOREOGRAPHED で、聞いちゃいられなかった。何も響いてこなかった。」
“CHOREOGRAPHED” というのは【振り付けされた】という意味だ。
どうやら、タイガー・ウッズは、ジョージ教授が言ってた「最悪の真似」をやらかしてしまったようだ。
世間の信頼を勝ち得るのは、トヨタが先か、タイガーか。
筆者の歯科医の判定では、トヨタが先のようである。
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