その記事の中でみつけた、こんな台詞。
“Fifteen years is long enough to do one thing,” he said. “I’ve been to every Rio Tinto results presentation for like 25 years. I began to think I’m not learning anything new. If you stop learning new things, life becomes very, very boring.”
ひとつのことをやるのに15年もあれば十分だ。自分は25年近く、リオ・ティント社の決算発表に毎回足を運んだが、最後にはいいかげん、これ以上学ぶものはないと考え始めるようになった。新しいことを学べなくなると、人生はとてつもなく退屈なものになる。
これを読みながら、自分が現場を去ったときのことを思い出していた。
筆者も、アナリストの現役時代、最後のほうには、何を読んでも、何を聞いても、ワクワクしなくなっていた。いつも頭にボー・・・と膜がかかったような状態で、インスピレーションが湧かない、とでもいうのかな。
「これ以上同じことをやっていたって、もう学ぶものはない、もっと学びたいという意欲もわかない・・・」そう感じるようになったら、仕事を続けていること自体が辛くなった。
どんな人だって、どんな職種だって、10年、20年とキャリアを積んでゆくうちに、ふと、自分の立ち位置が見えなくなる、そういう時期を一度ならず経験するのじゃなかろうか。
最近、ツイッターを覚えて、幅広い話題で顔の見えない相手とワイワイおしゃべりする楽しみにはまってる、とは前回書いた。
ツイッターをやっていると、明らかに自分がかつて棲んでいた世界に所属している人たちに出会うことがあって、彼らの会話に自分も口を挟ませてもらうことで、楽しいばかりではなく、なんとなく、現役に戻ったような、そんな不思議な感覚に陥ることがある。
そういうとき、ふと、取引の現場のあの独特の雰囲気が無性に懐かしく感じられて、あの場所にもう一度戻れるだろうかという妄想を抱くことも、たまにある。
でも、モメンタムを一度失った自分に現場で求められるエネルギーは恐らくもうないし、あそこでの自分の役目は終わったのだということも、漠然と理解している。
上のバーチ氏の言葉――ここに書き留めておこう、と思った。
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