Sunday, August 28, 2011

アートとしてのコミック

(本日のエントリーは、金融経済とはぜんぜん関係ありません。)

ツイッターのTLを眺めていて、ちょっと目を惹かれるツイートがあった。

@0__exa__0 さん(上智大学ゲーム部部長さんらしい)とおっしゃる方のツイートで、「ゲームというアート作品としての視点」を考えるとき、「海外に日本の芸術文化であるゲームが流れ出てしまった以上、芸術に関する権威や価値を知っている海外勢には根底から叶わない」という内容だった。

そのテーマで@kuromog さん(イラストレーター・漫画家の方)と意見交換させてもらったが、そのやりとりをTogetterでまとめたのが、これ。
Togetter「アートとしてのコミック」




上のやり取りで出てくるNYタイムズの記事はこちら。
Art Books Elevate Picassos of Pulp (NY Times, 8/18/11)

この記事では、アメリカのアートシーンでは、コミック関連のエキジビションが年々ポピュラーになってきており、コミックのコレクターと言えばかつては無造作に漫画本を積み上げているようなイメージだったが、近頃は、アート界のメインストリームの仲間入りをしており、Frank MillerとKlaus Jansonというアーティストの手による「バットマンとロビン」の絵がオークションで$448,125という価格が付いた話などが紹介されている。

コミック本自体の売り上げは細ってきているものの、その一方で、コミックやイラストレーションを「ファイン・アート」というカテゴリーで鑑賞するシリアスなファンからの需要はここ数年高まっていて、そうした層に作品を届けられる才能あるアーティストらが活躍するニッチな市場ができてきているという。

このNYタイムズの記事中に、その才能たち(Talents)の作品群がいくつか紹介されていた。
これらの代表作品を見て、このニッチなアートシーンに、日本人アーティストの名が入ってないことを、筆者は個人的には少々残念に感じた。

@0__exa__0さんがツイートで触れていた「エルシャダイ」というゲームのプロモビデオも初めて見てみた。普段ゲームをやらない自分には内容はよくわからないけれども、イラストレーションとしてだけみても非常にクオリティが高いと感じた。このクオリティをアートとして評価する向きが国内よりも海外筋なのだとしたら、それもやっぱり、残念なことと感じる。



前々から思っていることなのだが、日本では、こうした分野の作品はもっぱら『消費されるもの』といった扱いを受けているのではないのか。0__exa__0さんが言うように、これらを「アート作品としてAPPRECIATE(賞賛)する」といった態度が、どこか欠けているのではなかろうか。

カルチャーは消費されるべきではない、と言っているわけではない。ただ、芸術性が高く永く財産として残れる作品と、そこらへんにダダ漏れして散乱しているオタク文化の産物や「幼稚」以外に形容しようのない漫画風アイテムをいっしょくたにして消費し切ってしまうのは大変もったいない、と個人的に感じるだけだ。

上のまとめでも述べているが、数年前にNY公立図書館で開かれていた「絵本」という展示会をみて、そのときもやはり、似たような気持ちを抱いた。

そのとき感じたのは、日本のアートなのに、わたしは何故これをニューヨークのキュレーターによる企画で見ているのだろうということと、そこに展示されている芸術的な絵本の多くがNY図書館の蔵書(戦後流出したもの)なのは残念だ、ということだった。

わたしの感じ方に反論も多々あるだろうし、わたしみたいな美術に関しては門外漢の素人が何を言う、と思われるかもしれない。でも、わたしは日本人には「絵を読む」というユニークな感性があると思うし、その感性の表現としてのコミックやマンガ、アニメといった分野の幅の広さ・奥の深さは、経産省が想定しているような(商業ベースの)成功やアニメファンが集うカンファレンスばかりではなく、「ファイン・アート」という扱いで国際的にもっと知れ渡ってもいい、と思うのだ。

以下は、NY公立図書館の「絵本」展を見たときに書いたMixi日記(2007年2月5日付)から抜粋。

★   ★   ★   ★   ★

『絵本展』(2007.02.05 / Mixi日記から)

自宅から歩いていける距離に、ニューヨーク公立図書館があります。

Library1

ここの図書館の蔵書の中には、数多くの貴重な本や資料があるそうで、そうした貴重な本の展示会が、年を通じて開かれています。

展示会は、もちろん無料です。

NY公立図書館で今日まで展示中だったのが、日本の絵本。

先月いちど訪れたんですが、展示内容が実に素晴らしかったので、もういちど行って来た。

展示会のタイトルは、The Artist and the Book in Japan


Library2


わたしたち日本人でも、「絵本」と聞くと、子供向けの絵本をすぐ想像してしまうのですけれど、この展示会で展示されている本のほとんどは、子供向けの近代絵本ではない。764年から現代まで、日本芸術の流れの中に存在し続けてきた【絵本というアート】の集大成です。

それは、絵巻であったり、奈良絵本であったり、美しい挿絵をほどこした俳句集であったり・・・。まさに「息を呑む(breath-taking)」という形容がふさわしい、すばらしい本の数々でした。

Library3
(展示されていた、葛飾北斎作、富獄百景『霧中の不二』)

展示会でもらってきたパンフレットの序文の一部を紹介しますね。
This exhibition, the first of its kind, chronicles the development of ehon, or "picture books," in Japan from 764 to the present. Among the most beautiful and moving books ever created, ehon are one of the true glories of Japanese art but are little known today, even in Japan, because of their great rarity. The goal of this exhibition is to show the wonderful variety of ehon, their breathtaking exuberance, sophisticated artistry, sensuality, unparalleled originality, intellectual gravity, playful spirit, and lightness of touch.

この種の展示としては初めての試みである当展示会は、764年から現在までの、日本のピクチャー・ブック【絵本】の歴史と記録である。この世に創られた本の中でも最も美しく心を動かされる本、【絵本】。【絵本】は、真に賞賛に値する日本美術でありながら、こんにちでは、その希少さゆえに、日本においてさえも、ほとんど知られていない。【絵本】の素晴らしいまでのバライエティ、息を呑むほどの芸術としての豊かさ、洗練された芸術性、官能性、無比のオリジナリティ、知的な厳粛さ、遊びごころ、そして、手法の軽やかさ。当展示会の目的はそれらを示すことにある。

その希少さ(rarity)ゆえに、日本においてすら、よく知られていない・・・。

実際、わたしも、この展示会にあるものはどれも、いちども実際には見たことがないものばかりでした。

今回、ニューヨーク公立図書館で公開された本はすべて、同図書館が実際に所蔵する、スペンサー・コレクション(The Spencer Collection)と呼ばれる、たいへん貴重なものだそうです。

ネット検索してみたら、このコレクション、日本の大学の「日本学」の研究者のみなさんにとっては垂涎の資料だそうで、このコレクション公開に先立って、立教大学の日本学の研究者グループがプロジェクト組んで、NY公立図書館に学術調査に来ていたようです。

立教大学によると、スペンサー・コレクションとは、「日本古典籍資料、とくに日本関係の図像資料の宝庫」なのだそうです。

スペンサー・コレクションに含まれる日本の古典籍資料は、絵本含む印刷本が1500点、(手書き)写本が300点。こんなに貴重な資料が、なぜ、アメリカの図書館に膨大に所蔵されているのか・・・。

もとの日本人の持ち主が、これらの本にさほどの価値を認めなかったらしく、アメリカ人収集家に二束三文で売ったのだそうです。

スペンサー・コレクションは、ここ60年ほどの間の収集だとのことなので、戦後まもなく売られた、ということですよね。

戦後の混乱のさなかの日本では、美術品どころではなかった、ということなのか。(日本美術の多くが、戦後こうして海外に流出したよね・・・ちょっと残念です・・・。)

(中略)

実は、この展示会で、わたしのこころに最も印象深くのこったのは、神坂雪佳(かみさか せっか)という画家による絵本でした。

あちこち読んでみると、神坂雪佳は1866年に京都に生まれ、尾形光琳の流れを汲む琳派に属す正統派の日本画家でありながら、日本画に西洋の影響を強く反映させたことでも知られるモダンアートの先駆者、とあります。

恥ずかしながら、わたしは、神坂雪佳という画家のことを、この展示会で見るまで知らなかったのです。

しかし、日本的な題材を扱いながら、その斬新な色使いといい、構図といい、ひときわ異色を放つ絵本をおさめたガラスケースが展示場で目に入ったとき、おもわず足早に近寄ってしまいました。

ガラスケースの中にあった本、それは、神坂雪佳が1910年に描いた『百々世草』という本でした。

ただただ、びっくりしました。 20世紀に入る前から、日本にこんな先駆的な芸術家がいたことに。

晩年になってからの1934年、彼は、欧州を旅したそうです。 雪佳の青春時代、19世紀後半といえば、ヨーロッパの美術界は、日本美術の影響を受けてジャポニズムの嵐が吹いていた。ジャポニズムの洗礼を受けた欧州を旅しながら、雪佳は何を見、何を感じていたのでしょうか。

NY公立図書館が用意した雪佳についての説明文に、こんなことが書かれてあります。
Sekka was a genius; timelessly inventive, spontaneous, and free.
(雪佳は天才だった。時を感じさせない創造性、自然体で、そして自由。)
Timelessly inventive・・・時空を超越した創造性。

まさに天才の素分。

もっと、雪佳のことを知りたいと思って調べてみたものの、日本語ではほとんど彼についての情報や資料がネット上にないことに、驚いた。

そういえば、二束三文で売っ払った本の束の中に『百々世草』はあったのだったね・・・日本美術には知られざる奥行きがある。いつか、よく見直してみたいな。

英語サイトですが、ここに、雪佳の他の作品のデジタルイメージがあります。本をクリックすると、彼の絵のデジタルイメージを拡大できます。どれも素晴らしいです。是非ごらんあれ。

(抜粋終わり)

1 comment:

Anonymous said...

戦後の財閥解体で食えなくなった
貴族が手持ちのコレクター品
手放したんでしょう

自分の領地が雇われ百姓に配られ
アメリカの犬の自民政権の誕生

今でも日本はアメリカの奴隷ですよ