東京都内の多くの図書館で
『アンネの日記』やその他ホロコースト関連の本が破かれているのが発見され、物議をかもし出している。
有力ユダヤ系団体サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)は、この件を受けて「ショックを受け、深い懸念を抱いている」という声明文を出した。
SWCの声明を受け、海外メディアもこぞってこの話題を取り上げ、昨年の後半あたりから海外メディアで頻繁にささやかれるようになった「日本の右傾化」というパーセプションに、さらに証拠が加わったかのような扱いになっている。
この事件を伝える英字記事についたコメントの中に、「BIZARRE(奇妙だ)」という反応をしているひとを幾人もみかけた。日本の国内事情にとりわけ明るいわけでもない海外の多くの人たちからしたら、即座にこれはネオナチの仕業ではないかと思うわけだが、「ネオナチ?でも、なぜ、アジア、しかも東京で???Bizarre!」という反応になるのは当然だろう。
この奇妙で不快な事件の真犯人は誰なのか――。その後も、本の毀損や破壊は続いているという。筆者も一刻も早く真相が究明されて欲しいと願っている。
ところで、イスラエルにHarretzという大手日刊紙がある。イスラエルの日刊新聞社としては最古参で、ヘブライ語と英語で出版されてるが、その英語版はNYタイムズの国際版と一緒に束ねられて売られる、そういう新聞らしい。
「アンネの日記破損事件」が内外で大きく取り上げられることになるおよそ一ヶ月前、そのHarretz紙に1月22日付けで、
「日本人は何故アンネ・フランクに魅了されるのか」という長文記事がJTAという別のイスラエルニュースサイトからの転載として掲載された。
ナチスの迫害に遭った当事者とその末裔であるイスラエル人の目には、日本人は、どう映っているのだろう。
普段、定期的に読むことのないイスラエルのメディアながら、なかなか興味深い記事であり、筆者自身も深く同意する指摘部分があったので、下に全文・全訳を紹介する。 (※手早く訳したので、誤訳があれば指摘してください。)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
For many Europeans, Anne Frank is a potent
symbol of the Holocaust and the dangers of racism. But the Japanese
people tend to connect to her story for fundamentally different reasons.
多くの欧州人には、アンネ・フランクはホロコーストと人種差別という危険の強力なシンボルとみなされている。だが、日本人は、欧州人とは根本的に異なる理由でアンネの逸話に共感している。
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記事サイトから |
She speaks only Japanese and is not entirely sure what
country she’s in, but 18-year-old Haruna Matsui is happy to stand in the
rain for an hour with two friends to see the home of a person she has
never met yet nonetheless considers her soul mate.
彼女は日本語しか話さず、自分がいまどこの国にいるのかもよくはわかっていない。だが18歳になるマツイ・ハルナは、実際には会ったことはなくても大親友だと感じているひとりの人物の家を見るため、2人の友人とともに雨の中1時間も立ち続けるのを厭わない。
“We
visited Paris and Brussels, so I just had to come here to see Anne’s
home,” an excited Matsui told JTA last week outside Amsterdam’s Anne
Frank House.
「わたし達、パリとブリュッセルに来たので、アンネの家も見ようと思い、ここに来ました。」高揚したマツイは先週アムステルダムのアンネ・フランクの家の前でJTA紙に語った。
Matsui
has read Japanese manga comic book adaptations of Frank’s diary several
times and watched every anime cartoon film she could find about the
teenage diarist who spent two years hiding in an Amsterdam attic before
her arrest in 1944.
マツイはアンネの日記が原作になっている日本語の漫画コミックを何度も読み返し、1944年に見つかるまでアムステルダムの屋根裏に2年間も隠れていた10代の日記ライターに関わるアニメ映画もすべて観たという。
Frank’s
story is so well known that dozens of nations are represented in the
entry line of the museum established at her former hideout on
Prinsengracht 263. Every year, more than a million people visit the
museum, making it one of the Dutch capital’s most visited tourist
destinations.
フランクの逸話は世界中で知られていて、現在は博物館となっているPrinsengracht通り263番地にある隠れ家の入り口では、世界数十カ国から訪れた人たちが列に並んでいる。この博物館には毎年100万人以上の人々が訪れ、オランダ有数の観光名所になっている。
But
interest in Anne Frank is particularly intense in Japan, where her
story continues to reach new audiences through comic books, cartoons,
museum exhibitions and educational initiatives.
For
some Japanese, this is a source of pride.
だが、中でも日本人はアンネ・フランクにことさら強い興味を抱いている。日本では、漫画本やアニメ、博物館での展示、教育向け企画などで取り上げられ、いまだにアンネに興味を抱くひとびとが途絶えることがなく、中にはそれを誇りに感じる日本人もいるほどだ。
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アムステルダムのアンネの隠れ家を訪れる日本人学生たち(同記事から) |
But researchers who have
studied this fascination say it has a dark side, reflecting a tendency
to focus on Japan’s victimhood during World War II while ignoring
responsibility for atrocities committed by its troops who fought as
allies of Nazi Germany.
だが、こうしてアンネ・フランクに魅了される日本人を研究してる
者達は、そこには別の暗い顔があると指摘する。
それは、第二次世界大戦中にナチスドイツの同盟国として戦った日本軍による残虐行為の責任には目をくれず、戦時中の被害者としての自分に執着する傾向だ。
Matsui thinks Japan was neutral during World War II. “The
Germans fought the French and English and the Jews in Europe, and then
America and Japan had a war later,” she said hesitantly through a
translator.
マツイは第二次世界大戦中に日本が中立だったと思っている。彼女は通訳を介して自信なさげに「ドイツはフランスとイギリスと欧州にいたユダヤ人と戦って、その後にアメリカと日本が戦争をしたんですよね」 と言った。
For
many Europeans, Anne Frank is a potent symbol of the Holocaust and the
dangers of racism. But the Japanese people tend to connect to her story
for fundamentally different reasons, according to Alain Lewkowicz, a
French Jewish journalist who wrote an elaborate iPad application,”Anne
Frank in the Land of Manga,” about his investigation of the Anne Frank
phenomenon in Japan. In January, a version of the work was published by
the Franco-German television channel Arte.
多くの欧州人にとっては、アンネ・フランクはホロコーストと人種差別という危険のシンボルという意味合いが強い。だが、日本人は、欧州人とは根本的に異なる理由でアンネの逸話に惹かれている。そう述べるのは、ユダヤ系フランス人のジャーナリスト、アラン・ルーコヴィッツだ。ルーコヴィッツは、日本におけるアンネ・フランク現象を調査して『漫画の国のアンネ・フランク』と題するアイパッド用アプリとしてまとめた。一月には、独仏共同のテレビ局Arteが本の形で出版している。
“She
symbolizes the ultimate World War II victim,” said Lewkowicz. “And
that’s how most Japanese consider their own country because of the
atomic bombs — a victim, never a perpetrator.”
「アンネは第二次世界大戦の究極の犠牲者という位置づけなのです。」ルーコヴィッツは続ける。「そして、ほとんどの日本人にとっては、その究極の犠牲者というのは原爆を落とされた自国の姿そのものなのです。彼らにとっての自国とは被害者であり、決して加害者ではない。」
Currently,
approximately 30,000 Japanese tourists visit the Anne Frank House every
year, 5,000 more than the annual number of Israeli visitors. That
figure places Japan 13th in a list whose top 10 slots are all occupied
by European and North American nations.
昨今ではアンネ・フランクの家を訪れる日本人観光客の数は毎年3万人ほどにのぼり、イスラエルからの年間訪問者を5000人以上上回る。訪問者数上位リストは、10位まではすべて欧州と北米からの観光客が占めるが、日本はそのリストで13位になっている。
Japan
has seen the publication of at least four popular manga comic books
about Anne Frank and three animated films. The first Japanese
translation of Anne Frank’s diary appeared in 1952, one year before it
was first published in Hebrew.
アンネ・フランクを題材にしたものとして、日本では少なくとも4つの人気漫画本があり3本のアニメ映画がある。アンネの日記の和訳本が最初に登場したのは1952年で、ヘブライ語に訳されて出版されるより一年早かった。
“Basically,
every Japanese person has read something about Anne Frank, which is
even more amazing considering the shocking ignorance on history of many
young Japanese today,” Lewkowicz said. “The older generation has read
the book, and they buy the manga adaptation for their children.”
「基本的に日本人なら誰もがアンネ・フランクについてなんらかの話を読んだことがあるが、こんにちの日本の若い世代の多くが歴史について驚くほど無知なことを考えれば、これは驚くべきことだ。」とルーコヴィッツは言う。「もっと年が上の世代はアンネの日記を書籍で読んでおり、子どもたちにはその漫画版を買い与える。」
One
place where Japanese children encounter Anne Frank’s story is the
Holocaust Education Center at Fukuyama City, the only such institution
in the region. Run by a Japanese reverend, Makoto Otsuka, the center has
welcomed 150,000 schoolchildren since its establishment in 1995.
日本の子どもたちがアンネ・フランクのものがたりに触れる場所のひとつに、福山市のホロコースト教育センターがある。この地域では唯一ホロコーストを扱うこの施設は、日本人牧師の大塚まこと氏が運営している。同センターには1995年の開設以来、15万人の学童が訪れたという。
Located
just 50 miles from where the American atomic bomb landed on Hiroshima
in 1945, the center is home to a statue of Anne Frank, one of only two
such statues found in Japan and the only ones in her memory in the Far
East. The children also tour the center’s scale model of the Anne Frank
House in Holland.
1945年、アメリカが広島に原子爆弾を落としたその地点からわずか50マイル離れているだけの同センターには、アンネ・フランクの銅像が置かれている。日本に2体あるアンネの像のひとつだが、極東全体でもアンネを偲んで建てられた像というのは、そのふたつしかない。センターを訪れる子ども達は、オランダにあるアンネ・フランクの家の実物に近い模型の中を歩いてまわる。
In
2011, the center received one of two cuttings sent to Japan from the
chestnut tree Frank described in her diary. Japan is the only Asian
country besides Israel with saplings from the tree. The one in Fukuyama
is already nine feet tall, according to Otsuka, who spoke to JTA in
Hebrew. He studied the language to improve his ability to study the
Holocaust, he said.
2011年に同センターは、アンネが日記の中に書き記した栗の木から分けた2本の苗のうち一本を受け取った。イスラエルのほかに、その栗の木の苗を受け取ったのはアジアで日本だけだ。福山市に植えられたその木は、既に9フィート(2.7m)に育っていると、大塚氏は本紙にヘブライ語で教えてくれた。彼はホロコーストについてもっとよく学びたくてヘブライ語を勉強したのだそうだ。
“Anne
Frank is a powerful symbol for peace in Japan,” Otsuka said. “That’s
why her story resonates with so many Japanese, who have suffered the
horrors of war.”
「日本では、アンネ・フランクはパワフルな平和のシンボルです。だからこそ、戦争の恐ろしさを体験した我々日本人が、これほど多くアンネの物語に共鳴するのです。」と大塚氏は言った。
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1965年、日本人女学生に囲まれるアンネの父オットー・フランク(同記事より) |
Otsuka
began planning a Holocaust education center in 1971 after meeting Anne
Frank’s father, Otto Frank, the only member of the family to survive the
war.
大塚氏は、フランク一家唯一の生存者であるアンネの父親オットー・フランクに会ったことがあり、その後1971年にホロコースト教育センターの設立計画に取り掛かった。
“What I instantly saw in the man was how much love he had, despite everything he’d been through,” Otsuka said.
「オットーさんにお会いしたときに、あれだけの苦しみを体験してなお、あの方がどれほど愛に溢れた方か、ということがすぐにわかりました。」 と大塚氏は言う。
Introducing
Japanese people to Anne Frank’s story was important to Otto Frank. His
efforts in this regard may be part of the reason for the Japanese
interest in his daughter, according to Ronald Leopold, director of
Amsterdam’s Anne Frank House.
日本人にアンネ・フランクの物語を伝えることは、オットー・フランクにとっては大事なことだった。父オットーのこうした努力のおかげで、日本人が娘のアンネに今なお興味を覚えているのでは、とアムステルダムのアンネ・フランク・ハウス所長ロナルド・レオポルドは考えている。
In
his book, Lewkowicz juxtaposes Japan’s Anne Frank fascination with what
he and many others consider Japan’s failure to fully acknowledge the
actions of Japanese troops in areas they occupied in China and Korea.
研究者らは日本軍が占領した中国や韓国で行っていたことを日本が認めようとしない点を指摘するが、ルーコヴィッツも彼の自著の中で、日本のそうした姿とアンネ熱を並べて比較している。
“The
Anne Frank-Japan connection is based on a kinship of victims,”
Lewkowicz said. “The Japanese perceive themselves as such because of the
atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki. They don’t think of the
countless Anne Franks their troops created in Korea and China during
the same years,”
In
Korea, Japanese troops organized the rape of thousands of enslaved
Korean women who were known as “comfort women.” They also perpetrated
mass killings of Chinese civilians.
「日本人は、アンネ・フランクは自分らと同じ戦争犠牲者と感じ、そこに繋がりを見出しているのだ。」ルーコヴィッツは語る。「日本人には、広島と長崎に原爆を落とされたことで自分らは犠牲者・被害者だという自意識がある。だがそれと同じ時代に、韓国や中国では自国軍が数え切れないほどのアンネ・フランクを生み出していたということは彼らは考えようとしない。」 韓国では、日本軍人は何千人もの慰安婦と呼ばれる韓国人女性らを奴隷のように扱い組織的に強姦した。彼らはまた中国の民間人を大量虐殺するという残虐行為にも出た。
Japan
apologized in 1993 to Korea and again in 1995 for having “caused
tremendous damage and suffering to the people of many countries,
particularly to those of Asian nations.” But many consider the apology
insufficient and insincere, citing the absence of reference to war
crimes and repeated visits by Japanese leaders to shrines honoring some
of the worst perpetrators. Japanese Prime Minister Shinzo Abe’s visit
last month to one such shrine sparked strongly worded condemnations from
the Chinese government.
日本は1993年に韓国に対して謝罪をし、1995年にも「多くの国々、とりわけアジア諸国のひとびとに多大なるダメージと苦痛を与えた」として謝罪した。しかし、そうした謝罪も、戦時中の犯罪に触れていない、あるいは、最悪の加害者達を祭った神社へ日本のリーダーらが参拝を重ねているために、いまだ充分かつ真摯なものとは見なされていない。安倍晋三首相による先月のそうした参拝は、中国政府から強い語調を伴う批難を呼び起こした。
Otsuka
says his museum is limited to the Holocaust and that other war crimes
are not part of its scope. But he notes that the institution’s mission
statement extended to “deepening the understandings of the period and
helping to enhance awareness for world peace among young people.”
大塚氏は、彼が作った博物館はホロコーストだけがテーマであって、それ以外の戦争犯罪については彼の手がける範疇ではないと言う。だが「当時の出来事の理解を深め、若いひとたちが世界平和に気づく手助けとなる」ことも博物館の設立目的に入っていると大塚氏は述べた。
Despite this, Lewkowicz says that Otsuka is quietly working to raise awareness of the divisive issue of Japan’s wartime record.
大塚氏のそうした態度にも関わらず、ルーコヴィッツは、日本の戦時記録について二分された見解が存在するのを世に知らしめるのに、大塚氏の存在は静かに役立っていると考える。
“Don’t
expect Otsuka to advocate adding the issue of Japanese war crimes to
the national curriculum,” Lewkowicz said. “Japan is not ready. It may
seem from the outside like an ultra-liberal society, but this is a false
impression.”
「日本の戦争犯罪の問題を国の教育要録に加えるよう主張してまわる、などということを大塚に期待してはいけない。」とルーコヴィッツは言う。「日本にはその準備ができていない。外からみると、日本は極度にリベラルな社会であるように見えるかもしれない。だが、それは誤った印象だろう。」
Still,
he said, “Slowly, bit by bit, Otsuka and other like-minded people are
raising questions and telling people, also through the Anne Frank story,
that some of what Japan did in those years is pretty much comparable.”
「だが、」彼は続ける。「ゆっくりと、少しづつ、大塚や彼のような心を持った人たちが疑問を投げかけ、そしてまたアンネ・フランクの逸話を通じ、日本が戦時中にやったことは、アンネが受けたそれに匹敵するものだったのだと語り始めているのだ。」
(記事終わり)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この記事のここが史実と違うだのなんだのと、お得意の重箱の隅をつつくような詳細を持ち出して反論したがる人が出てきそうだが、そんな詳細をいくら重ねたって、それは本質論ではないし、わたしは興味がないので、その手の話を持ち出したいなら、どうか私にコンタクトしてこないでください。
わたしがこの長文記事の中で同意せざるを得なかった指摘とは、
「アンネは究極の戦争犠牲者。そして、ほとんどの日本人にとっては、究極の犠牲者というのは原爆を落とされた自国の姿そのもの。彼らにとって自国は被害者であり、決して加害者ではない。」
という審判だ。というのも、わたし自身、多くのツイッターのフォロワーさんらに「また始まった・・・」とウンザリされながらも(苦笑)、こんなことを繰り返しつぶやいているからだ。
しかし、こう感じているのは、何も、上のイスラエルの新聞や、一介のブロガーのわたしだけではない。昨今の日本に対し批判的論調を掲載する海外ジャーナリズムの多くが、「日本はDENIALをやっている」と捉えていて、また記事や番組でもハッキリそう述べている。
さらに、昨日26日付けの記事で、BBCが、神風特攻隊の遺書を世界遺産に申請した日本人についてとりあげ、上のイスラエルの記事と
まったく同じことを書いている。
この記事から、その部分を拾ってみよう。
Japan has immense problems with its memory of the war. Prominent
politicians and media figures still frequently espouse absurd
revisionist versions of history - that Japan never started the war, that
the Nanjing Massacre never happened, that tens of thousands of comfort
women "volunteered" to become sex slaves for the Japanese military.
The massive bombing of Japanese cities at the end of the war, and in
particular the atomic attacks on Hiroshima and Nagasaki, has allowed the
construction of a narrative of victimhood. Japan is the only country to
have suffered an atomic attack. The firebombing of Tokyo, in one night,
killed at least 100,000 civilians. But when talking about these
horrors, what is often forgotten or omitted is how it all began.
日本は戦時中の記憶にあたって重大な問題を抱えている。著名な政治家やメディア関係者がいまだに、日本は決して戦争を始めたわけではない、南京虐殺など起こらなかった、何千人という慰安婦はみな日本軍のために自ら性奴隷になりたがった、といったような、歴史修正主義めいた馬鹿げた歴史解釈を披露するのは珍しくもない。
終戦間際に日本の都市がいくつも大規模な爆撃にあい、特に広島と長崎には原子爆弾が落とされ、そうした体験が犠牲者としての語り口を許してきた。日本は悲惨な原爆体験を持つ唯一の国だ。 東京大空襲では、一夜で10万人という民間人が殺された。だが、それらの恐怖を語るとき、往々にして忘れられたり省かれたりするのが、それらがどうやって始まったかという部分だ。
(引用終わり)
日本人として、欧米ジャーナリズムがこういう記事を書くことに愉快な気持ちになるひとは多くはいまい。
しかし、昨今、日本から聞こえてくる自己を正当化しようとする発言の数々には、自信のなさ故のディフェンシブさに加え、「どこかすさんだもの」を筆者は感じている。
昨年来ずっと自分が抱いていたその感覚を、タイムラインに流れてきたある方の下のツイートが見事に捉えて表現しておられたので、紹介してこの章を終える。